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「昭和文学ベストテン 小説篇」・「百年後にも残る平成芥川賞作家のこの1作」
〔バックナンバー91号、115号〕
これまで、三田文学に登場した作家たちの姿に焦点を当ててきましたが、今回は特集に注目します。
三田文学では、91号で「昭和文学(戦後~昭和末年)ベストテン 小説篇」、 115号で「百年後にも残る平成芥川賞作家のこの一作」を特集しました。 昭和、平成という時代がどのように描かれているのか、時代像を探ります。
「昭和文学ベストテン」で選ばれた作家は、 10人中9人が男性で、女性作家は大庭みな子さんただ一人です。評論家・田中和生さんも「とにかく戦後文学というのは、異常に男くさい空間です」(三田文学91号)と評しています。
それに対し、「百年後にも残る平成芥川賞作家」では、 笙野頼子さん、多和田葉子さん、川上弘美さん、朝吹真理子さん と女性作家が10人中4人入り、男性作家と拮抗しています。
評論家・水牛健太郎さんが「若い女性作家で楽しみな人がたくさんいます。綿矢りささんもそうだし、金原ひとみさん、青山七恵さんとか」と言葉を残すように、平成の女性作家の存在感が見受けられます。
昭和文学には、大岡昇平の『野火』を筆頭として、堀田善衞の『橋上幻像』、吉田満『戦艦大和の最期』など戦争体験や戦争に関して、大きな作品が多くあります(三田文学91号)。
平成に入っても、戦争文学は書かれ続けます。
奥泉光さんの『バナールな現象』は湾岸戦争を扱っています。世界の動きに機敏に反応する姿勢も、平成の戦争文学の特徴といえるでしょう。直接の戦争経験のない平成世代が作った物語としてリアリティーに欠けるという意見が出ますが、戦後文学と現代文学の橋渡しの役割等が評価され、「100年後に残る作品」として選ばれました(三田文学115号)。
一方で、青来有一さんや目取真俊さんは長崎や沖縄のことを扱う作品を書き続けています。時代と共に切り口は変わっても、戦争は文学の大きなテーマであり続けます。
私小説は、昭和にも、平成にも、変わらず日本文学の中で存在感を示しています。 興味深いところで、「逆私小説」、「私をこじらせる」というキーワードが見えてきました。
「昭和文学ベストテン」では三島由紀夫の『金閣寺』を論じるなかに「逆私小説」というキーワードが出てきます。
富岡 三島がおもしろいというのは、いわゆる逆私小説のようなところがあってね。晩年のエッセイ『太陽と鉄』で「実人生よりも先に言葉が出てきている」と書いていて、言葉があって、後から人生が出てくるという逆説的なことを言っているけれども、彼の場合、先に作品世界があって、それに彼の実人生、「私」がくっついていくという、逆私小説のおもしろさがあって、『金閣寺』もそうです。
(三田文学91号) 「100年後にも残る平成芥川賞」では、笙野頼子『金毘羅』を論じており、「私をこじらせる」ことが話題となっています。
陣野 『金毘羅』ですね。『金毘羅』はいい。(中略) ここまでこじらせても私小説をかけるのか、っていうところまでいっちゃっているので、そういう実験ですね。だから、日本の伝統の中に私小説があるとすると、極端にこじらせたかたちを出したということは評価できる。
(三田文学115号)
時が経っても変わらず日本文学の中に存在感を示し、色彩を豊かにしていく私小説。 その枠組みのひろがりから、目が離せません。
「昭和文学ベストテン 小説篇」(三田文学91号)と「百年後にも残る平成芥川賞作家のこの一作」(三田文学115号)。 時代を句切り小説を比べてみると、見えてくる景色がありました。 これからの行方が楽しみです。
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