お問い合わせ ホーム
三田文学について 雑誌紹介 その他の刊行物 オリジナルグッズ 会員募集 定期購読のご案内 広告主募集 イベント
 
三田文学新人賞
同人雑誌評
編集部特別企画
創刊号~昭和19年10・11月号合併号の「三田文学」をオンラインでご覧いただけます。
ぜひ、トライアルでお試しください。


 

三田文学編集部
〒108-8345東京都港区三田2-15-45
慶應義塾大学内
mitabun@muse.dti.ne.jp

 
西脇順三郎 〔1894(明治27)年~1982(昭和57)年〕

西脇順三郎の代表作は、即座に思い浮かぶだろうか。彼の仕事はモダニスム・ダダイスム・シュルレアリスムを跨ぐ膨大なものだが、詩の世界においてさえ、回顧されることの少ない印象をうける。しかし、1958(昭和33)年にノーベル文学賞の候補となってから計四回候補になっており、彼の国際的評価は高い。

西脇と三十余年の交友のあった西脇研究者の新倉氏は、以下のように述べる。「詩を通して以外にその内面の肖像を語ることはできないと私は痛感した。詩の中に隠されている意義深い記号を探し出して、それがおのずと啓示してくれるものを静かに待つことだ」(新倉俊一『評伝 西脇順三郎』)。ここでは、新倉氏の言に従って、西脇の詩を読み、彼の思索を巡ってみたい。

西脇順三郎は1894(明治27)年、新潟県は小千谷に生まれた。1912(大正元)年に進学のため上京、慶應義塾大学理財科予科に入学する。この頃に英書を読み漁り、またフランス象徴派詩人たちの作品に触れ、文学に親しんだ。その後、就職をするも、健康を損ない療養に入る。そして1920(大正9)年に慶大予科の英語教員となり、同時期に水上瀧太郎に認められる形で「三田文学」に執筆を開始、また1926(大正15)年には編集委員として、「三田文学」復刊に携わることとなる。

  やっぱり脳髄は淋しい
  実に進歩しない物品である
       (「体裁のいゝ景色 人間時代の遺留品」)

これは「三田文学」1926(大正15)年11月号に掲載された西脇の詩の冒頭部(三田文学名作選に再掲)である。復刊が同年の4月、編集兼発行人となるのが1929(昭和4)年のことなので、最も「三田文学」に関わるようになる頃の作である。彼は3年後に『超現実主義詩論』を出版するが、それに登場する「詩の消滅」という概念は、この詩からすでに読み取ることが出来る。新倉氏によると、「詩の消滅」は、「象徴的なメタファーの消滅」、つまり何物も象徴しないようなイメージを提示することであるという。つまり、「脳髄は淋しい」や「進歩しない」というイメージは、一見すると意味深長なメタファーや象徴主義的な表現として書かれているが、実のところナンセンスで、旧来の解釈を否定し皮肉るような詩情を胚胎している。彼の「反語的なイロニーの詩学」はこうしたところに依っているのだ。

「イロニー」や「皮肉」の表現は、一方で同時代の詩人にも受け入れられた。しかし半面で、萩原朔太郎の指摘や「荒地派」の鮎川信夫の批判も相まってか、『超現実主義詩論』は正当な評価が遅れたまま今日に至っていると新倉氏は指摘している。

国内での評価とは対照的に、海外では積極的に西脇を再評価しようという動きがある。『超現実主義詩論』や『Ambarvalia』をはじめとする一連の詩集は英語や中国語、イタリア語に翻訳され、各国に読者を獲得し、冒頭に挙げたノーベル賞候補にまで選出されたのである。そして、現代においても、最新の批評理論を用いて新たな読みの可能性を探られるような作品・作家として注目されている。その中には『Ambarvalia』を英訳したホセア・ヒラタ氏や西脇の詩論を修辞史的観点から研究する林少陽氏の評論もある(ホセア・ヒラタ「西脇順三郎の国際的評価または人間の消滅に関する考察」/林少陽「外国の視点から見た西脇順三郎の「イロニイ」の持論」三田文学92号

  割合に体裁のいゝ景色の前で
  混沌として気が小さくなつてしまふ瞳孔の中に
  激烈に繁殖するフユウシアの花を見よ
  あの巴里の青年は
  縞の帽子の中で指を変に屈折さす
  郵便局と樹があるのみ
  脳髄はデコボコとして
  痛い

先述の詩はこのようにして終わる。新倉氏の言に従えば、これらの表現には何も象徴されていないはずである。しかし私は、ここに西脇の葛藤めいたものを読まずにはいられない。「長らく詩的精神というものは絶望の哲学であった。ところが現在の僕の『精神』というものを失くしている」というのは1936(昭和11)年の彼の文章である。国内外の評価の鋭い対立、詩人パウンドをして「どんな文学賞も審査員賞も、一個の子音の重みや母音のながさを変えうるものではありませんが、……西脇順三郎の作品をスウェーデン・アカデミーに推すことは何の害もないでしょう」と言わせつつも、国内では同時代人の決して好意的とは言えない批評を受けていた西脇。詩作を巡って「脳髄はデコボコとして/痛い」というような苦悩が、さらには一個の子音や母音で悩み続ける詩人の姿が見える。


   (安部農)

著作権について | 免責事項 | プライバシーポリシー | サイトマップ